ビジネスパーソンの方でMBAを知らない人はあまりいないとは思いますが、MBAとはMaster of Business Administration(経営学修士)の略です。
MBAは資格ではなく、「学位」ですので、MBAを取得することよりも、「どの大学でMBAを取得するか」が重要です。
MBAでは、経営に関する幅広い知識をケーススタディという手法を用いてディスカッションを通じて学びます。
アメリカでは、上場企業の部長職の6割がMBA以上の学位を持っているといわれているなど、従来は管理職に必要なゼネラリストとしてのスキルを獲得できると言われていましたが、近年はMBAの有用性について疑問を呈する声も多いです。
元ローランド・ベルガー日本法人会長の遠藤功氏は著書『結論を言おう、日本人にMBAはいらない』の中で、日本のMBA教育の質が低く、またMBAが日本の企業に求められていないと指摘しています。
また、マギル大学教授のH.ミンツバーグ氏は、著書『MBAが会社を滅ぼす』の中で、ビジネスの現場において不可欠な実践的能力を養うことができないと批判をしています。
今回は、MBAの取得者側とMBAを雇う企業側の視点で、なぜMBAホルダーが使えないと言われているのかを考えてみましょう。 その上で、MBAの本当の価値はなんなのか、今のMBAがどのように変わってきているのかをお話したいと思います。
ハードスキルは知っていて当たり前の基礎教養
MBAに関する一番の勘違いが、「MBAは経営学を学ぶところ」と思われているところではないでしょうか。そして、MBAで学んだ経営学がすぐに仕事で生かせると思われていることではないでしょうか。
MBAは経営学を学ぶところでもなければ、MBAで学んだ知識が仕事で生かせるということは実はあまりありません。
従来のMBAは、経営戦略や組織論、財務、会計、マーケティングといったビジネスの基本的な知識をまんべんなく学ぶものなので、MBAの座学で学んだことが強みになるということはあまりないのです。
MBAで学ぶようなことは、ビジネスパーソンであれば知っていて当たり前の内容が多く、そのような知識やフレームワーク、ケーススタディなどはビジネスの基礎教養みたいなものです。
MBAで勉強するハードスキルは基本的に広く浅いので、ハードスキルを学びたいのであれば、ファイナンスや会計のマスターに行く方がより深いことを学べます。
MBAの授業の形式としては、座学というよりもディスカッション形式で授業が運営されます。ビジネススクールの教授は「先生」というより「ファシリテーター」であり、日本の学校のように先生が生徒に教えるという形とは全く異なり、教授は授業の中でのディスカッションを盛り上げる役割を担っているという側面が強いです。 なので、MBAでは基本的には知識のインプットよりもアウトプットに比重を置いていると言えます。
ただ、若い頃にMBAに行けば座学も学ぶことがあると思います。アメリカでは、大学を出て2、3年働いた後に20代半ばくらいでビジネススクールに行くケースが多いのではないでしょうか。
ハードスキルよりもソフトスキルとネットワーキング
若いころに留学すればハードスキルを身に着けることも役に立ちますが、年を取ればとるほどネットワーキングやソフトスキル習得の側面が強くなっていきます。
MBAには、世界中から優秀な人が来ているので、ネットワーキングをするには非常に良い環境です。
私はオックスフォード大学のMBAプログラムに留学していましたが、元マッキンゼーのミュージシャン、オリンピック選手、イギリス貴族、元CIA、世界を転々とする起業家…といった面白い人達と友達になることができました。
今、私はイギリスに住んでいますが、元マッキンゼーのミュージシャンとは卒業後も頻繁に飲みに行ったりバンドのセッションをする仲ですし、世界を転々とする起業家のオーストラリア人とはコロナ以前は毎週朝まで飲むような仲でした。
また、そのような人達と一緒にプロジェクトを行ったり、ディスカッションをしたりする中で、異文化の中でのコミュニケーションやファシリテーション能力、リーダーシップなどが身に付きます。
ただでさえ、出身国、人種や思想、業界、職種がすべてバラバラのチームであり、かつそれぞれキャリアゴールもMBAに対するモチベーションも異なるため、そのようなチームを引っ張っていくことでコミュニケーション能力などのソフトスキルが相当磨かれます。
また、MBAプログラムでは著名人や業界の大物がゲストスピーカーとして講演などに来ることが多く、著名人と直接会話をする機会がたくさんありますし、名門大学のMBA学生と名乗れば有名な起業家などでも会ってくれたりしますのでネットワーキングは非常にしやすいです。 私は、MBA在学中は、積極的にゲストスピーカーと話したり、ロンドンの起業家などに会ったりしていました。 私がMBAに在学していたときは、世界的な経営コンサルタントのトム・ピーターズ氏やデザイナーのヨウジ・ヤマモト氏、スターウォーズの監督のJJ・エイブラムス氏と話をしたりできました。 また、ロンドンで会った起業家の一人とは非常に馬が合い、その起業家のスタートアップにスタートアップメンバーとしてジョインし、今もロンドンで働いています。 私の場合は、在学中に築いたネットワークやソフトスキルが今の仕事につながっていますし、今後もキャリアの役に立つと思っています。
「勉強」をしてしまうMBA取得者
20代前半~半ばで留学をする人はハードスキルの勉強も一定程度力を入れるべきですが、30代前後で留学することが多い日本人は、経営の勉強というよりも、ネットワーキングをしたり、ソフトスキルを磨いたりしなければならないのに「勉強」をして帰ってきてしまうケースが多いのではないでしょうか。
そして、MBAで学んだ広く浅い知識を張り切って仕事で使おうとしてしまう。
そもそもMBAで学ぶような戦略論、組織論などの理論は再現性がないので、「学んだことをそのまま何かに当てはめる」というのは上手くいくはずがないことなのです。「MBAは机上の空論」と言われることが多いですが、それはある意味では正しいのです。 (経営学は再現性がないので、これを学問として研究するに値するのか?そもそも学問と呼んでいいのか?という議論もアカデミアの中では存在しています)
このような再現性のないものを、「こうすれば絶対に成功する」といってMBAで学んだ知識を振りかざすのは愚の骨頂ではないでしょうか。
MBAを過大評価し、MBAで得た武器の使い方を間違える、これがおそらく日本企業でMBA取得者が嫌われる一番の原因ではないでしょうか。
ケースをたくさん知っていて、一定の共通性などを見出すことに意味がないとはいいません。ただ、それは「そうするほうが少しだけ成功する確率が高まるかもしれない」程度のことだと思った方がいいです。
MBAで学ぶようなことは、意思決定の際の参考情報程度だと思った方がいいです。 重要な意思決定をしてきて、後で振り返ると「そういえばMBAで習ったあのケースに似てたな」といったように、意図して使うのではなく、後で振り返ると無意識的にMBAで学んだことを使っていた、くらいの感じでいいと思います。
MBA取得者を殺す日本企業
ネットワーキングやソフトスキルをおろそかにし、広く浅い知識を振りかざそうとするMBA取得者側に問題があると書きましたが、MBA取得者を雇用している企業側にももちろん問題があります。
日本企業や官公庁のMBA派遣は福利厚生の一部、あるいは「ご褒美」みたいなもので、MBA取得後のキャリアを考えて派遣しているわけではないケースが圧倒的に多いのではないでしょうか。
MBA取得後は全く海外や経営と関係ない業務にアサインされることも多く、その結果、多くの人が外資系企業に転職していき、優秀な人材を失っている現状があります。
日本企業では、MBA取得者が使い物にならないと言われますが、MBA取得者を活用できない企業側の問題も数多くあるケースだと思います。
私の友人も企業派遣でMBAを取得した後に会社に戻りましたが、MBAで得た知見を活かせないドメスティックなオペレーション業務にずっと従事させられ、結局辞めて外資に行きました。
外資系企業の多くは、MBA取得者は経営幹部養成コースのようなポジションで採用したり、管理職として採用したりするケースが多いでしょうが、日本企業や官公庁のMBA派遣の場合は、「2年間も(あるいは1年間)現場を離れて海外に行って遊んでたやつを幹部候補にすると他の社員に示しがつかん」ということで、「ご褒美をあげたのだから会社に戻ったらしばらくは我慢して地味な仕事をしてなさい」というような感じではないでしょうか。
海外に行って多様で優秀な人材から刺激を受け、そのような人達とのディスカッションやプロジェクトを通じてグローバルマインドを備えたMBA取得者にとっては、海外と関わりもなく、経営とも関係なく、留学前と同じようなルーチン業務をやらされるのではつまらなく感じてしまうでしょう。 これでは、MBA取得者は有能な人ほど辞めて外資系企業にいってしまいます。
MBAの真価と進化
実験場としてのMBA
オックスフォード大学のMBAに入学して、最初に教授から言われたのは、 「MBAは実験場である。できる限りの失敗をしろ。」 ということです。
つまり、失敗が許されないような場面のある現実世界とは異なり、MBAは、あくまで現実世界とはかけ離れたケースやプロジェクトを通して学習する場ですので、現実世界ではできないような多くのことにチャレンジし、失敗をして、失敗から学べということです。成功するためには失敗を多く経験してそこから学ぶのがなによりの近道です。
ビジネスコンペにたくさん参加する生徒もいれば、企業へのコンサルティングプロジェクトを頑張る人もいれば、新興国で社会課題系のプロジェクトをやる人もいる、ビジネススクールという箱を使って、社会に戻ったときに成功するように、それぞれが実験をし、失敗を重ねるというのがビジネススクールの真価のひとつではないでしょうか。
リーダー育成機関としてのMBA
ソフトスキルを学ぶことが大事だと前段で書きましたが、リーダーシップがMBAで学ぶことのできるソフトスキルの代表格ではないでしょうか。
MBAはリーダー育成機関と言われる側面があります。
リーダーに必要な素養とは何でしょうか。 経営に関する知識でしょうか。会計やファイナンスのスキルでしょうか。英語力でしょうか。こういったものはあるに越したことはありませんが、身に着けたからと言ってリーダーになれるとは限りません。
元マッキンゼーで「採用基準」を書いた伊賀康代さんに言わせれば、リーダーとは役職ではなく、「リーダーシップを備えた人」のことです。リーダーシップを備えた人とは、「チームの使命を達成するために、必要なことをやる人」です。
リーダーシップは、クラウゼヴィッツに言わせると、「知性と情熱を兼ねる高度な精神」「危険を顧みず自身の行動に責任を負う勇気」「不確実な事態における洞察力」「洞察に基づく具体的な行動する決断力」ということです。
「わかるような、わからないような…」という感じではないでしょうか。
MBAのクラスで、理系のエンジニアのクラスメートだったかと思いますが、彼が「リーダーシップを数式に置き換えるとどうなるのか?数値化できるのか?」と聞き、教授はその質問を受け流していたことがありました。
英語力などであれば、英語能力検定などである程度、自身の英語力を測定できますが、自身がどれくらいリーダーシップのスキルが身についているのかといったことを測定することは今のところできないでしょうし、数式に置き換えたところであまり意味はないでしょう。
前提として、MBAではこういった身についているか身についてないのかよくわからないソフトなスキル(スキルと呼べるのかどうかもわかりません)を学びにいくところだという前提を持った方がいいと思います。 こういったものをソフトスキルと呼ぶのだと思いますが、MBAで学ぶことはこういったソフトスキルが重要だったりします。
究極のモラトリアム期間としてのMBA
ビジネススクールの学びとしては、「Knowing」、「Doing」、「Being」と言われることがありますが、Knowingは知識、Doingは経験、Beingは価値観を指します。 Knowingは経営に関する知識、Doingは他のクラスメートたちと協力してプロジェクトをやったり、失敗から学ぶということです。
Beingは、自分自身はどうありたいか、何をしたいのか、自分の使命は何なのか、知識と実践に加えて、こういった自身の価値観を再発見できるのがビジネススクールのあるべき姿ではないかと言われています。
社会に出て会社で活躍できるようになったころ、2年、或いは1年間ビジネスの現場を離れて学校に行くというのはなかなかない機会です。同じ職場にいて、毎日職場の人に囲まれていたのではおそらく価値観も固まってくるでしょう。
MBAでは、ファイナンス、コンサルティング、ノンプロフィット、アントレプレナーシップ…といった多種多様なプロジェクト、カリキュラムが用意されていますし、また、ゲストスピーカーや優秀なクラスメート、卒業生などロールモデルになる人がたくさんいます。中には既に成功し、自己実現をしている人達もいます。
そういった人達と接していると、大いに自分の中の価値観を揺さぶられます。
私もMBA留学前はビジネスエリートのキャリアを歩まなければいけないと、凝り固まった価値観で、卒業後はファンドや投資銀行などをぼんやりと考えていましたが、ビジネススクールの中では旧来のそのようなキャリアが必ずしも正解でないということが分かり、卒業後はロンドンでスタートアップをやったり、企業のアドバイザーをやったり、キャリア支援をやったり、レーベルに所属してバンド活動をやったり…と自己実現に向けて新しいキャリアを歩み出しました。
このように、ビジネスの現場を離れて1年や2年、自身のやりたいことや価値観について考えることができるのは貴重な経験ではないでしょうか。
MBAの進化、ジェネラルマネジメントの時代は終わり
従来のMBAは、前段でも触れましたが、経営に関する薄く広い知識、いわゆるジェネラルマネジメントをケースのディスカッションを通して学ぶというものでした。
近年は、ビジネススクールは多様化していて、従来のMBAプラスアルファが求められています。
各スクールはプラスアルファの付加価値を付け加え、ユニークなMBAプログラムを提供しています。
私が留学していたオックスフォード大学は、特に「社会課題」に焦点を当てたプログラムを提供しています。ビジネススクールでありながら、「金を稼ぐことは考えるな。社会の善となることをやれ。社会にインパクトを与えろ」という教えで、ソーシャルインパクトに関連したカリキュラムとなっています。
例えば、Global opportunities and threats: Oxford (GOTO)と呼ばれるプログラムが必修科目となっており、気候変動やエネルギー問題、途上国のヘルスケアといった世界的な問題に対する解決策を提案するというものです。
ケンブリッジ大学はテックやアントレプレナーシップにフォーカスしたプログラムですし、LBS(ロンドンビジネススクール)はファイナンス、アメリカでいうと、カーネギーメロンはテクノロジー、データアナリシス、ノースウェスタン大学ではMMMと呼ばれるMBAとデザイン修士を組み合わせたプログラムなどがあります。
MBAは時代によって変わる
上記のように、ジェネラルマネジメントに加え、各校の特色を付加したプログラムが増えていますので、MBAは時代にあわせて変わっていくものだと思います。
時代に合わせて変わる、というと聞こえはいいですが、常に思考錯誤しているということです。
上記に挙げたような例は上手くいっている例だと思いますが、そうでないケースもあるようです。
一部のビジネススクールのMBAプログラムでは、テクノロジーをプログラムに取り入れ、エンジニアと組んでプロダクトのプロトタイプを作成し、起業の体験をするようなカリキュラムがあるのですが、聞いた話によると、MBAで学んだ経験が全く生かせず、エンジニアサイドからは「MBA=バカ」と思われているそうです。
それもそのはずで、MBAで学ぶ知識というのは主に大企業のマネジメントに関する知識であって、スタートアップ経営の知識でもなければ、ましてやプロトタイピングのためのコーディングやUI/UXのデザインなどは学びません。
その結果として、MBAの学生は、ビジネスのアイディア出し、市場や競合のリサーチ、財務計画作成など資料作成をすることはできるのですが、プロトタイプ作成には手出しができません。
実際のスタートアップであれば、投資家から資金調達をしたり、組織作りをしたりとMBA人材のバリューの出し方もいろいろあると思うのですが、短いMBAの期間内においては、プロトタイプ作成までできれば良いところ。
その結果として、MBA人材の活躍の場が少なく、エンジニアからは「何もできない人達」と認定され、あまり評判の良いプログラムではなくなってしまっているようです。
このように新しい試みが始まっているのは良いことなのですが、MBAと他学部の学生のコンピテンシーをしっかりと理解した上でカリキュラムを組まなければ上手くいきません。 MBA生にテクノロジーをしっかり教えるのか、或いはエンジニアをMBA生として入学させるのか…考える必要があります。
このように、一概にMBAといっても多種多様になってきており、こうした試行錯誤を常に行い、時代にあったリーダーを輩出しようとしているのがMBAであるということです。 これからもMBAは進化し続けるでしょう。
筆者
西垣和紀
高校中退後、数年間仕事を転々とした後、渡米。アメリカの大学を卒業後、外資系コンサルティングファームに入社し、大企業の戦略策定、M&A、業務改善、新規事業創出などに従事
その後、オックスフォード大学MBAを経て、ロンドンのスタートアップで事業責任者、外資系企業のCOO(最高執行責任者)などを歴任し、現在はヨーロッパと日本を行き来しながら様々なビジネスの立ち上げや企業のアドバイザーとして活躍
また、音楽活動をしており、アメリカ西海岸のレーベルと契約、海外フェスへの出演やイギリスのトップアーティスト「ピクシー・ロット」などと共演
カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)マネジメントサイエンス専攻 オックスフォード大学サイードビジネススクールMBA(経営管理学修士) ペンシルバニア大学大学院コンピューターサイエンス専攻在学
Twitter: @kazukinishigaki
講演・執筆依頼、起業・新規事業相談など気軽にご連絡ください
댓글